2010年5月23日日曜日

俳優の存在感~『童貞放浪記』DVDを観て

テレビと映画の詰め込みの違いで決定的なのが「引き画」の使用である。
テレビの多くはタレントや出演者の「寄り画」を多用する為、どうしても割で引き画の数が少なくなる。出演者はそれに偏った演技を要求される為、全体で醸し出す存在感が希薄になってくる。

映画監督というのは、フルスクリーンサイズで常に画格を考えている。

そうすると、いざDVD化されてあらためて観たときに、どうも俳優の存在感が薄いと感じる事が多々ある。

『童貞放浪記』に関しても同様なことが言えた。
同じ事務所だからといって贔屓目に観たりはしないつもりである。
神楽坂恵は、劇場で観た時は良いなと思ったのだが、こうしてDVDで観ると、テレビ寄りの演技をしている事を感じた。

私は、これではいけないと思った。
監督はフルスクリーンサイズで計算してくるものだ。だが、画格に関係なく、我々は自らの存在感を醸し出していかなければならない。それが俳優としてプロの仕事であり、その存在感の出し方こそが、我々の永遠のテーマなのだと思う。
これは、狙ってはいけないものであるし、何かをしようとして臨んではいけないものである。

何をしなければいけないか。

やはり、日々の鍛錬でしか育まれないと思う。
俳優として生きて行くに際し、やはり日常から全てを俳優目線で捕らえるようにして行かなければならないし、思考や何もかもを俳優思考に変えていかなければならない。
また、日々の声の出し方から、包み込む空気感、そういったものまで、自分らしさというものを常々追求して行く姿勢が大切だと思った。
私は、ライターの仕事もしているが、書く時にはいつも別の人格となり、演じて書いている。そういった事は苦しく苦痛に感じる事もあるが、常に俳優訓練の延長であると自覚し乗り越えている。

また、私個人としても俳優としての日常訓練を再開した。
俳優にとって、生きていくこと全てがその主体から生まれるドラマであると、一個人として常日頃思っている。

私たち月の石の所属者4人は、映画俳優を主体として生きている。
映画俳優として、これからも精進し邁進していかなければならないと、日々鍛錬を続けているのである。

我々の努力は必ず実を結ぶと信じてやまない。

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