2010年5月15日土曜日

俳優〜形而上学する心

暇さえあれば、哲学書を読み漁っている。
ワイルドな外見とは裏腹に私の日常は、実は求道的だ。
学生の時分からそうだったが、客観性の欠落は自身を内省へと追いやって来た。
その事により、長い事鬱病と生活を共にしたが、数年前、鬱は私の内在から去って行った。
天文学がそうであるように、また量子力学がそうであるように、全ての事象は関係性に起因する。
であるなら、主体と主点をずらした時に自分をとりまく世界は大きく変わる。
昨今の乱気流が如き経済に関しても、ズレの力学的観点から見ると、森羅万象が我々を取り巻く世界の総体としての自分の生き方が見えてくるような気がする。
我々は総体としての主体から、定点をずらして生きるべきだ。
生き方とは、そんな客観性の中から大きく変わる。
言わば、それがドメスティックではない、外的主体としての生き方である。

俳優というのはそういう中から生きて行かねばならない。

また、人生を変える事の力がない人間など、俳優として生涯を全うする事などできるはずがない。

見るが良い。
この地球とは、太陽から放出される陽光によって否応なしに明暗転が繰り返される、円球ステージではないか。
その上に立つ出演者は人間であり、我々自らがスタッフで舞台づくりもしている。

こんな台本のない世界ほど、面白いものはない。

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