2010年3月23日火曜日

文学賞落選

20年振りにコンペに作品を出した。
落選のショックは隠せないが、反省点は多々ある。
今後の最大の課題は字数制限との戦いだ。
気合いを入れ直したい。

次は、中編の童話を書く予定。

落選作、未発表となるのは作品がかわいそうなので、blogに載せました。

『食パンのダンス』
             近藤善樹
 冷凍庫を開けると、食パンの耳が静かに眠っている。
 僕にはカツノリ君という幼馴染がいて、食パンの耳は、そんなカツノリ君の思い出とともに眠っていた。
 カツノリ君は、食パンの耳をカリッと油で揚げ、砂糖をまぶしたおやつが大好きだった。お昼にカツノリ君のお母さんがサンドイッチを作ると、冷凍庫の中はいつも食パンの耳でいっぱいになった。外で遊んできて、カツノリ君の家に帰ってくると、テーブルの上には揚げたての食パンの耳が美味しそうにお皿の上に盛られていた。僕達は、そんなカツノリ君のお母さんの手作りおやつが大好きだった。食パンの耳が嫌いで、真中ばかり食べる僕を見て、カツノリ君のお母さんは
「あらあら、もったいない。」
 と、僕の残す食パンの耳を油で揚げ、砂糖をまぶして食べさせてくれた。そんな優しいおやつが、僕にはまるで魔法の食べ物のようだった。
 小さい頃、僕は団地に住んでいて、そこには子供達も多く、住民達はまるで家族のように、お互いの家を行き来していた。高台にあったその団地は見晴らしも良く、夏の花火大会ともなれば住民は皆屋上に集まり、大人達はビールの泡で口の回りを真白にし、子供達はスイカの汁で口をべとべとにし、大人も子供も
 「まあ、だらしないわねえ」
 と、妻や母親に怒られたりしたものだった。その傍らには、カツノリ君の家のカリッと揚がった食パンの耳が、いつも添えられていた。
 打ち上げ花火は威勢は良いが、いつも散り際は、はかなく切ないものだ。
 カツノリ君の家は、しばらくすると不在がちになった。
「カツノリ君、あーそぼー。」
と、玄関で大きな声で呼んでも、カツノリ君は出て来なくなった。しばらく呼んでも誰も出て来ないので、僕はしょんぼりと家に帰る。
 ある日、母親がカツノリ君に会わせてくれるというので、僕は嬉しくなって大喜びで母に着いて行った。
 母が連れて行ってくれたのは、大きな大きな病院だった。身体にチューブをたくさんつけて、頭に白いキャップをかぶったカツノリ君がいた。カツノリ君はにっこり笑って、嬉しそうに僕に近寄ってきた。僕も嬉しくなって大はしゃぎしてカツノリ君のところに近寄った。けど、僕達の前には大きなガラスがあって、僕達はガラス越しでしか話す事が出来なかった。しばらして帰る時間になり、僕は母からもらったお金で買ったおもちゃをカツノリ君にあげた。カツノリ君はとても喜んでくれた。帰り際、僕はカツノリ君のお母さんに
「なんでカツノリ君はチューブだらけなの?」
と聞いた。するとカツノリ君のお母さんは、突然泣き出した。そしてポロポロ涙を流しながら僕に揚げた食パンの耳をくれた。
カツノリ君が言った
「約束してね、食パンの耳残しちゃだめだよ。」

 しばらくしてカツノリ君に会った時、カツノリ君は白い白い花に囲まれて、小さな小さな木の箱の中で眠っていた。今度は僕が泣き出していた。白血病だったのだそうだ。

 僕の目の前で今、油の中の食パンの耳がカリカリとダンスを踊るように舞っている。その下の大きな焔は、団地での花火のように思い出を優しく包み込む。賑やかに凝縮されたフライパンの中に、あの頃の光景が思い出される。
 あの日以来、僕は一度も約束を破っていない。

0 件のコメント:

コメントを投稿