2010年4月26日月曜日

小さな小さなデモクラシー

父の参加した国会突入デモで当時の東大生、樺美智子さんが亡くなった。
ジグザグデモが続く中、父は渦中にいたそうだ。

「ノッポの近藤くん!」と、背の高い叔父はよく警察にパクられた。
父よりひと回り以上違う弟である叔父を、何かある度警察まで引き取りに行ったと、父は言っていた。叔父が他界して20年以上にもなる。

幼少期、小さな小さな僕は、父に手を引かれてよくデモに参加した。参加する度貰う景品のようなものがお目当てだったのだが…。
小さいながらに、意味もわからず、皆といっしょに シュプレヒコールを叫んでいた。

不確かだった目的のない小さな叫びは、明確な目的を持ち、表現として豹変し、自分の中に内在するものを具現化しようとしている。
言葉としての実験は終わりを自身に告げたような気がする。
静止画では収まらない何かを求め始めている。
形にしたい欲求に駆られている。

映画を作りたい。

反発する衝動と表現への衝動は、父や叔父たちが政治へと向けた当時の気質に近いものがあるのかもしれない。

間もなくメーデーが来る。

客観性と情熱を持ち、私達はこの豊饒なる時代に新たに生まれた文化と時代のズレを、潤滑する表現者として、力強い流れとなって、見つめて行かねばならない。

抗する力には情熱が必要だ。
我々には誰一人例外なく情熱が内在する。

情熱は誰の中にもある。

気づくかどうかで世界は変わると私はただ信じてやまない。

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